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言葉が足りない人たち。
威圧的な上司や、モラハラの気がある旦那、甘えたがりの彼女や泣いてばかりの子供、みんな言葉が足りません。
子供はまだ知らないことが多いから、感情で誰かの注意を引くという本能に納得できるのですが、大人になってもそれをやってしまうのは一体どういうことなんでしょう?
断片的な言葉しか伝えられなかったり、遠回しな言葉でしか伝えてことなかったり…。
「ねえ、結局どういうこと?」
でもこの人たち、結局はただの“察してちゃん”なんです。
どうしてちゃんと言ってくれないんだろう?
何かを伝えることって難しいなと思うけど、指示や指摘というのは更に難しいなと思います。
それなのに、言葉が足りない人がいます。足りなすぎる人がいます。
そしてわからないからと聞き返すと、不機嫌になる。
会社とかでも日常的に見かける悲しいこの状況。
どうしてわかるように伝えようと思わないんだろうか?
ちゃんと伝えた方が効率よくない?せめてわかるようになるまではある程度伝えない?え?なんで??
それがとても疑問でした。
もう少しわかりやすく言ってくれればいいのに。
あなたしか知らない情報を盛り込まれても、そこまで理解できないんですが…。
最悪わからなかったとしても、聞き返すことすら悪いことなんだろうか?
わからないことをバカにされているような態度をとられ、いつも自分が悪いのか…って落ち込んでいました。
私の力不足でわからないことは本当にごめんなさい。
でもわかるために努力しようと聞き返したことすら不機嫌にされてしまうと、こっちはやる気もなくなってしまうんです…。
ただそういう人に限って、「自分はあなたのことわかってる」って思ってたりするし、それを違うよって伝えた時に「言ってくれなきゃわからない!」って憤慨する確率が高いんですよね😓
察することができる人がすごいの?
それでも、その数少ない言葉に一生懸命応えようとする人がいます。
ワガママ社長の秘書さんだったり部下だったり、モラハラ夫の奥さんだったり、甘えたがり彼女の彼氏さんだったり。
結局言葉が足りない人の周りにいるのは、察することができる人だけ。
察することをがんばる人だけ。がんばれる人だけ。
そこには、お金だったり愛情だったり寂しさの裏返しだったり、なんだかんだメリットがあるからがんばれているわけです。
察することができる人だけ、わかる人だけいればいいんだったら、勝手にそうしてくれればいいのに。
ただ、だからこそ周りに人が少なくて、そういう察してくれる人に依存して、いつもこの人しか言うこと聞いてくれないって不機嫌なんですよね。
子供みたい、拗れている…。
ただ、後々意味がわかった時に「どうしてこう言ってくれなかったんだろう?」と思うことがあるんですが、それは私の個人的な意見で、「相手はそれを伝えたのにお前が理解しなかった」と思っているんだろうな。
お互い歩み寄らなければいけないと思ってるんですが、伝え方は難しい。
上下関係があると、さらに気を遣わなければいけないですし。
少しでも否定の言葉が入ってしまえば、そういう相手は逆上してしまいますし。
そういう時、察することをがんばっている人がどういう言葉を選んでいるかは、とても参考になります。
なんでそこまでがんばらなきゃいけないんだって思うのはもっともなご意見なんですが笑、ただ単純に仕事を効率よく進めるためにはこうやって手のひらで転がしとけばいいんだなって思えれば、気持ちもちょっと軽くなるかなって。
確認することを怖がらなくていい。
結論、ちゃんと確認すればいいだけなんだなと思いました。
そこで「なんであいつは理解するのにお前はわからないんだ」っていう他人との比較だったり、「お前に思いやりがないからわからないんだ」ってこっちのせいにしてきたり、「優しくない」なんて人格否定をして傷つけようとしてくる場合があります。
ただただ、それは傷つけようとしてきてるだけです。あなたが悪いわけではありません!気にしないでください!
もしそれでも気にしちゃうようであれば、考えようにってはあなたはもっと幸せになれる可能性が高いです…!
そういう考えの方はどうしても自分を責める方向にいっていると思うので、それを方向転換できればもっと楽になれると思います✨(今後のブログで説明できれば…!)
私が最近感銘を受けた言葉で、”「他人のせいにしない」というのは未熟な自分のせいにすることではなく、問題を話し合って解決すること”というのがあります。
自分が察せないのが悪いんじゃないんです。
もし自分が「察することができない(=その人のことが嫌いで、その人のことを察しようと努力する能力が低い)」と感じたなら、がんばる?無理?じゃあどうする?別の人を挟む?という解決策を話し合っていくのが問題解決なんです。
だから、自分のせいにしたり、自分だけが我慢してなくていいんです。
もし誰も助けてくれないようでしたら、それは会社がよくないです。
転職を検討しましょう。
自分だけが意見が合わなくて、自分が悪いのでは?と思っているかもしれません。
ただ私は、ちゃんと悩んでネットで検索をかけて解決できないかとブログを読んでいる、そういった努力をしようとしているあなたが悪いとは思えません。
あなたはちゃんと解決しようと努力しています。
お疲れ様です。
それをあまりに理解してくれないようだったら、その会社では他のところでも綻びが出てきてしまうと思います。
色々な世界に飛び込んでみてもよいのでは?
結局は察してちゃん。
言葉が足りない人は、
わからないと伝えられた時、どうして更に説明しようとしないのか?
言葉の意味をちゃんと考えろとか、思いやりがない!みたいなことを平気で言うのか?
自分が悪いとは思わないのか?
それについて、モラハラ夫を持った友達(離婚済み)から話を聞いて、少し納得したことがあります。
それはどうやら「次もそうしろ」ってことらしい。
「自分のこの言葉でこういう思考回路だと察することができる人間になれ」っていう意味らしい。
それって、結局自分が楽をしたいからですよね?
少ない言葉数でも理解しろ、俺の労力を奪うな、お前がわからないのが悪い、そう思っていないとこんなことできないと思うんですよね。
あと、それだけ自分には価値があるっていう劣等感の裏返しのような承認欲求なところもある気がします。
要は”察してちゃん”。
かまってほしいし、わかってほしい。でもそんな態度でしか他人を試すことができないから、余計拍車がかかる。
そんな人にかけている時間は、私たちはお金をもらう以外にがんばれる要素はないとぶっちゃけ思っています。
察してちゃんの周りにいる「わかってあげられること」を喜ぶ人。
ただ、どうしてそんな横柄な人が生き残ってしまうかというと、周りの人にも悪いところがあると思っています。
残念ながら、少なからず「自分はその複雑さをわかってあげられる」っていうことに喜びを感じる人間もいるのです。
悲しい話ですが、その人も結構”敵”です。
我慢してがんばってるあの人はすばらしい、なんて幻想です。
そんなの、やりたいからやってるんです。
そしてやれない人を無意識に見下してしまってるんです、その人は。
きっと、私は寂しがってるこの人の穴を埋めてあげられる存在…!みたいなところでこれまた承認欲求を満たしているんでしょうね。
そういう人って、愚痴をこぼすだけこぼしときながら、献身をやめません。
だったら楽しいって言ってくれればいいのに、それすら認めてくれない…。
社会って、よくわからない巣窟です。
自分だけが変なんじゃないかとか、社会不適合者なんじゃないかって悩むのもちょっと悔しくなってしまいます。
甘やかさないでよって思っちゃうけど、それはそれで楽しそうにやっているのを見ると、なんだか心が折れてしまいます。
歩み寄って欲しいのはどちら?
私はもう少し、歩み寄りたいなと思ってしまいます。
ただそれはそれで私の願望なだけで正しいわけではないと思っています。
会社の中では私だけ浮いているから、「お前が歩み寄ってないんだ」って言われますし。
歩み寄るってなんですかね?
ただ今の状況だと、多数決でいつも負けるんで私が悪いみたいです。
ただその会社を選択しているのは私なので、こういう結果になっているのも致し方ないことだと思っています。
でもこれからどうするかも、私が決めたいと思います。
お互い、歩み寄って欲しいと思っている限り、平行線なんでしょうね。